第8回展 「顔」ー KAO

|会期|2022 1118() ~ 2023 57()(金・土・日・祝に開館)

|開館時間|毎週 金・土・日・祝 12:00-18:00 

|特別開館|2022 1113(日11:00-18:00 

|年末年始の休館日 20221219日(月)~2023119日(火)

 _________________________

 

「顔」と「KAO」

 

 

   骨格と上にのってる  表皮と筋肉の動きが 一致していない

    興味深い顔だ

    なんていうのかな? 一見かんぺきに見えて

    バランスがずれてる

   そこがなんとも不思議なかんじだ 

(岡崎京子「ヘルタースケルター」より)

 

 このたびモリムラ@ミュージアムでは、第8回企画展 《 森村泰昌 「顔」-KAO 》を開催 いたします。「顔」がおおきく扱われたモリムラ作品の数々が一堂に介します。自画像 の顔、ファッションモデルの顔、紙幣の顔・・・、モリムラの顔がさまざまな顔に変わります。

「顔を変えたい」などと犬や猫は思いません。ヘアスタイルをアレンジしたり、メイクを工夫したりして顔を変える。これは人間特有のじつに不可思議な欲望です。もしかしたら「顔」とは、人間そのものを意味しているのかもしれません。

 でも未来はどうなるかわからない。岡崎京子のマンガ「ヘルタースケルター」の主人公、 りりこは整形手術をくりかえし見事な美形となり、その結果サクセスストーリーを歩む ことになるのですが、やがてもともとの「私」と新たに獲得した「顔」とのバランスがくずれてゆく・・・

「顔」をめぐる壮絶な修羅場を描いた悲喜劇、「ヘルタースケルター」が描かれたのは 1996 年。あれから 26 年ばかり経った 2022 年の今なら、りりこはあれほどの苦渋を味 あわなくてもよかったのかもしれません。というのも、「私」がレプリカント、すなわ ち人工的に製造された「顔」になることに、私たちはすでに抵抗感がなくなってきつつ あるからです。Photoshop で「私」の「顔」を加工する、あるいはネット上で自在にア バターを楽しむ。そういう「顔」を変えることにたいする軽快なゲーム感覚には、もは やりりこが苦闘したあの「私」と「顔」の乖離は希薄です。 「顔」は、衣服を着替えるのにも似た、着脱可能なキャラクター装置となりつつある。 いまや、「私」は「顔」に悩むのではありません。「私」は「顔」と戯れるためのテクノ ロジーを楽しもうと欲している。そのことを伝えたら、りりこは救われるだろうか、そ れともやっぱり聴く耳持たず、ののしるだろうか。

今回の展覧会名は、「『顔』KAO」です。漢字表記のほうは、「私」から引きはがしたくても、一生まとわりついてくる厄介至極な、しかし愛すべき「顔」を意味しています。 「私」と「顔」がイコールでつながっていたころの時代感覚をあらわしています。 そしてアルファベット表記が意味するのは、私たちの未来形としてすでに視野にはいり つつある、着脱可能な装置としての「KAO」です。 「顔」の時代の終焉は近い。あるいは「私」が「私」であることの意味を探しつづけて きた「人間」の歴史にも黄昏がやってきた。

本展で私は「顔」と「KAO」の稜線を綱渡りしてみたいと思います。きわどい境界線上 に歩を進めながら、眼下にはどんな風景が眺められるのでしょう。この「顔/KAO」を めぐる想念の散策におつきあいくださいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

 森村泰昌

 

 ________________________

展覧会概要

1985年、モリムラは自分の「顔」に絵のようなタッチの化粧を施し、粘土の帽子をかぶり、ゴッホの自画像に扮して写真に撮りました。以降モリムラは、映画女優や21世紀という時代と戦った著名人など、 多種多様な「顔」になるセルフポートレイト作品を制作しつづけ、今日にいたっています。 本展は、「顔」にこだわったモリムラ作品を、そのバリエーションの広がりと共にご覧いただく展覧会で す。はたしてモリムラの「顔」はどこへ行こうとしているのか。その答えが本展のなかに隠されているの かもしれません。

 

1章「顔」とは「私」のことである

 画家の「顔」を写し出す鏡でもある自画像。「私」とはなにかという問いと向きあって、画家たちはこれまでに多くの自画像を生み出してきました。第1章では、そうした自画像の「顔」をテーマに制作されたモリムラ作品の数々をご覧いただきます。フランスのカルティエ現代美術財団での個展(1993)の際に出版されたビジュアルブック『九つの顔』を活用し、新たに『九つの顔(再訪)』(1993〜2023)として再制作した珍しい作品も展示します。

 

 

自画像の美術史(ベックリン/我が友、死神よ)2016

 

 

2章「顔」とは「お金」のことである

 紙幣に印刷される「顔」は、政治家、科学者、文化人などさまざまですが、国家や権力や権威の「顔」として、なにがしかの意図や意味や意識を読みとることもできるでしょう。第2章では、2011年に発表された「経済の自画像」シリーズをひさびさに公開いたします。

   経済の自画像 / US ドル 、2011

3 章「顔」とは「衣装」のことである

アジアン・ビューティーの先駆けとなったファッショ ンモデル、山口小夜子の「顔」は、「時代の顔」であ り、「最先端の美の顔」でもありました。第3章では、 《山口小夜子 未来を着る人》展(東京都現代美術館 2015)に出品した“小夜子に捧げる作品シリーズ” を展示します。

 

Sayoko1 : 百年の孤独から千年の愉楽まで。、2015 

第4章「顔」とは「歴史」のことである

映像作品『エゴ・シンポシオン』から、レオナルド・ ダ・ヴィンチの章を上映します。 レオナルドの「顔」をめぐる秘密をレオナルド本人が 告白します。もちろんすべてはモリムラの妄想した架 空の物語。しかし架空であるからこそ導きだせる真実 もある。「顔」をめぐる約500年の歴史に想いをめぐらしつつ、レオナルドが“意外な事実”を語ります。

・シンポシオン / レオナルド・ダ・ヴィンチ,2016

 ・シンポシオン / レオナルド・ダ・ヴィンチ、2016

 

追記 : 今回のカタログには、フランス文学者、鹿島茂さんの「顔」にまつわる論考も掲載 予定です。どうぞ御期待ください。